この中で記念酒醸造に用いる無農薬酒米の栽培を三菱農業機械が耕うんから収穫まで最新の再生紙マルチ田植機LKE60Dを始めとした
機材提供でサポートすることになりました。その活動と水稲生育の様子をこれから数回にわたってお伝えしていきます。
無農薬で作る安全でおいしいお米づくり、これにはすごい勢いで増える雑草を処理する除草作業がつきもの。負担の大きいこの作業を少しでもラクに行える様にとの思いから大学の研究はスタートしました。そんな中「光を遮ると雑草は生育しない!」という事を発見し光を遮る様々なテストを実施。試行錯誤を重ねる中、ある学生の「新聞紙はどうだろう?」というアイデアから〝再生紙マルチ水稲移植栽培法″が生まれました。この移植技術を我々と大学の共同開発で機械化したのが再生紙マルチ田植機です。そして今回、今も進化を続ける最新の紙マルチ田植機LKE60Dが大学の記念事業のサポートとして鳥取大学に里帰りします。
古くは江戸時代の頃まで地元の酒米として愛されていた「強力」。その酒米は、背丈が150cmを超える事もあるという幻の酒米。その酒米を学生たちの手で栽培し、本当の地酒を造る。70周年を祝う記念にふさわしいプロジェクトの始まりです。
来年2019年に70周年を迎える鳥取大学では「時を刻む・繋ぐ・紡ぐ」をコンセプトに記念事業に取り組んでいます。今回の周年酒づくりもその一つです。「どんなお酒をつくろうか」という段階で真っ先に浮かんだのが地元で幻の酒米と言われていた「強力」という名の酒米。江戸時代までは盛んに作られていましたが、背丈が高く(140cm)大粒で育成が難しいとされて徐々にその姿を消したとされています。実はこの酒米の種を保管してずっと守ってきたのが当大学なのです。
戦後に一度は姿を消したこの酒米は、昭和61年にその種を使って地元の有志たちの熱い想いと手によって蘇りました。今でも地元の生産者だけが守り続けている貴重な品種です。また今回協力頂く(有)山根酒造場は今も昔と変わらぬ製法で強力米を使ったお酒を醸造し、守り続けていらっしゃいます。
米を作る上でこだわりたいのが薬剤を使わない酒米づくり。当大学では古くから薬剤を使わず除草を軽減できるマルチ水稲移植栽培法の研究を続けており、移植法の機械化にあたり地元山陰の三菱農機(現:三菱マヒンドラ農機)との共同開発が始まりました。その縁が今回の協力に繋がっています。
地元の力で行うプロジェクト。近い将来、未来を担う若者たちがこの経験を地方の活かし方やビジネスモデルのヒントとして活かしてくれるかもしれません。実体験から沢山学んでもらい、自分たちの手で作ったお米からできるお酒がどんなものになるのかを感じてもらえる良い機会だと思っています。
国立大学法人鳥取大学は昭和24年に開設され、基本理念「知と実践の融合」のもと、その時代に必要な現代的教養と人間力を根底におく教育により、地域社会の課題解決や国際社会の理解を志向し、社会の中核となり得る教養豊かな人材の育成に取り組んでいます。
32年前、私の父が酒米「強力」を復活させて今の技術でお酒を作ってみたいという想いから種探しが始まりました。鳥取の地で生まれ消えてしまった原種の種を探すことは大変なことだった様です。そんな中、鳥取大学に原種保存された種があるらしいと話を聞きつけて当時の木下教授に頼み込んだのが鳥取大学とのご縁のきっかけです。
大変貴重なもので普通では許可出来ないところを「発芽したものを栽培し増やすことが出来れば分けることができるかもしれない」ということになり、大学の試験圃場で発芽させ栽培した一握りの種もみを分けて頂きました。ありがたいことに今では「強力」が継続して栽培できる様になりました。「強力」復活の舞台が鳥取大学なのです。
大学の記念にお酒をつくるのであれば「強力」しかないだろうと今回のお酒作りの話を頂いた山口先生は、父がお世話になった木下先生の教え子です。この「強力」を巡っての長きに渡る人と人との結びつきは正に里帰りの様な話です。役に立てればそんな光栄なことはない。
お米、お酒づくりは作り手のキャラクターが出ます。学生さんたちが汗水流して栽培したお米で出来る酒がどんなものになるか今から楽しみです。
明治20年(1887年)。古代神話に彩られた因幡の国の最北西で、「醸は農なり」の精神に基づき、低農薬・低肥栽培法でこだわりをもって育てられた地元の契約栽培米を使用し、清浄な自然に恵まれた雪深い冬の寒さの中、銘酒を育む。